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Return to Farland サブ・ストーリー

シスター・ザ・シーア

 キッズの心を忘れない、そんなにやけづらでファウルナーは、ご自慢のコレクションに手を延ばした。通称――本人以外にだれがそう呼ぶかはいささか疑問だが――「ファウルナー・コレクション」と銘打たれた美女の切り抜き集は、本棚の魔法医学の専門書と魔法農学の解説書に挟まれるようにして隠されている。
 ファウルナーは欲望こそ生きる意味だと信じて疑っていない。欲望すなわち、美女大好きということだ。ファウルナー・コレクションがそこに隠されていることを、三人の娘はもちろん知っていたけれど、ファウルナー本人が子どものようにこそこそしているので、三人の娘は、優しさ半分、呆れ半分で気づいていないフリをしていた。
 アルトゥーロ自治区のボクーム瀑布を守護する偉大な魔法使いとして名を馳せているファウルナーが、そんなエロじじいだなどということが知れ渡っては実際問題、問題なわけだが、ファウルナーはそんなことまるで気にしていなかった。周囲の視線や意見を気にするような歳ではもうなくなってしまったし、心の奥底でとても真摯なときがあるということは、なによりも三人の娘たちが知っていてくれていた。
 本当の自分など多くの人に知ってもらう必要はない。むしろ、たった一人でもかまわないのだ。
 ファウルナーがコレクションに手をかけたそのとき、周囲の本が一緒に本棚からこぼれ落ちてしまった。ありゃりゃ。手許が覚束なくなるほど老いてしまっただろうか。
「パパー?」
 末娘のフルールが台所のほうから覗きこむように背伸びしてきた。
「ああ、だいじょうぶじゃよ。弘法も樹から落ちるじゃ」
 ファウルナーは必死になって散らかった専門書をかき集めた。ファウルナーは自分のコレクションが娘たちに筒抜けになっているとは夢にも思っていない。
「脳みそ以外はだいじょうぶみたいね」
 椅子に腰かけた長女のイルネージュがソプラポッコを片手に嫌味を言った。
「脳みそはダメかもしれんが、下半身はぎんぎんじゃよ?」
 巧みにコレクションを専門書と解説書のあいだに挟みながら、ファウルナーはにやりとした。
「にゃ~」「はぁ」
 フルールは台所から声をあげ、イルネージュは落胆した。
 よし、ばれてないぞ。ファウルナーは内心でほくそ笑む。
「わし、今から魔法の研究するから、部屋にこもるよ」
 ファウルナーが言うと、イルネージュは無言でソプラポッコを煽りながら、ハエを追い払うような手つきで手をふった。
「なんじゃい、がんばってねーとか応援ぐらいできんかね。女は歳をとると可愛げがなくなるのー」
 ファウルナーはでっかい声で愚痴りつつ、二階の自室へひきあげた。ひきあげぎわ、娘二人をうかがってみたが、ファウルナーの行動を訝っている様子はなかった。ファウルナーは内心ガッツポーズをする。

 自室のドアの鍵をかけデスクに腰かけると、さっそくファウルナーはコレクションを眺めることにした。自選コレクションなわけだから、どこにどういう切り抜きがあるか知悉しているわけだが、いつもどきどき感は盛りあがった。キッズの心が燃えあがる。
 すると、最近手に入れたスタットハムの色街の恋人パティちゃんの切り抜きのところから、一枚の紙がするりと落ちた。しおりなんか挟んどいたじゃろか……?
 拾いあげると、それは絵だった。
 とても懐かしい顔が描かれている。シェーナと、成人したばかりのイルネージュ、年頃のリューネとまだ子どものフルール、そしてファウルナーが描かれた、懐かしい絵画だった。
 ファウルナーは束の間、キッズの心も、欲望も、コレクションのことも忘れて、その絵画に見入った。
 シェーナは微笑んでいた。とても優しく、まるで生きているみたいに。
 そうか、予言は当たったのか……。
 ファウルナーは微笑んだ。
 シェーナの微笑みが、伝わったみたいに優しく。

 七〇年以上もの昔、ファウルナーはレイゼル山脈にあるナユタ族の聖地アスマ=ドゥを飛びだした。理由は特になかった。強いていえば聖地での生活が窮屈だったからだ。ナユタ族に生まれた強い魔力をもった魔法使いだからという理由で、夢のような空間の守護者として一生を送らなければならないというのは、とてもつまらないことに思われて、だからファウルナーは旅に出たのだ。
 そして二〇年前、紆余曲折を経て、ファウルナーは水竜のいるボクーム瀑布を守護する役目を担うことになった。充分歳をとったから住むところくらいは落ち着いてもいいかもしれない――そんなふうに思って、ハーグローブ王国のマッケンタイア王の要請に従い、アルトゥーロ自治区へやってきたのだ。水竜のもつ宝目当てに滝に出入りする小悪党が多いので見張ってほしい、とそういうつまらない役目だったが、気まぐれでファウルナーは引き受けることにしたのである。あまりにもつまらなかったら辞めるつもりだった。そして実際、正直つまらないので辞めようかと考えていた矢先に、ファウルナーのその後を決定づける出来事が起こったのだ。
 シェーナとの出逢いだった。
 強い雨の降る夜、ファウルナーの住まいの入口ドアがノックされた。暖炉のまえでうつらうつらしていたファウルナーは突然の激しいノックに、めまいがするほどたじろいだ。しかし、
「助けてください――」
 まるで喘ぐような女性の声が瞬時に耳に入り、ファウルナーは二秒で覚醒しドアまで飛んだ。躊躇することなくドアを開ける。風雨とともに、予想どおり美しい女性が転がりこんできた。このへん、ファウルナーがこれはなんらかの罠かもしれないとか考慮したりしないのは、自分の強さを信じているというよりは美女大好き、それだけである。
「どうしました、お嬢さん?」
 年齢のほどはお嬢さんというにはいささか抵抗あるように思えたけれど、ファウルナーはすでにじいさんであり、ファウルナーからしてみれば、ばあさん以外はお嬢さんなのだ。
「娘を……とにかく頼みます……」
 ん?
 よく見れば女性は赤ん坊を抱えており、ついでにかたわらには年頃の女の子が強い瞳をしてファウルナーをにらんでいた。二人の子持ちなのか――しかし、そんなことでめげるファウルナーではない。
 ん?
 そのときやっと敵が目に入った。女性の向こう、外の闇のなかにうごめくいくつかの影――賊か。
 ファウルナーはとりあえず女性を自分の住まいに入れ、自分は入口に立った。
 強い風雨にさえぎられてよく見えなかったが、相手がだれかは容易に知れた。
「あのお嬢さんがなにをしでかしたのかは興味ないがの、シーフ・アーカイヴがよってたかって、子連れの女性を追いまわすのは感心できんの」
 闇のなかで影が動く。
「大人しくあの女を渡せば、手荒な真似はしない」
 いちばん偉そうな男が静かにつぶやく。見憶えがあった。おそらく、クラドック王国で暗躍しているシーフ・アーカイヴ棟梁のエステロ=デ=ナジャだ。ファウルナーには興味はなかったけれど。
「わしをだれだか知ってて言ってる?」
 やれやれ、ファウルナーはそんなリアクションをとる。
 すると、やれ、とエステロが命令する。つづいて、エステロの配下の男が叫んだ。
「バベッジC、発射!」
 ん?
 ファウルナーが眉をひそめた瞬間、エステロの配下の横にいるピエロのような少年の口から、ものすごい怪光線が放たれた。
 あお? 
 ファウルナーは瞬時に浮遊してかわしたものの、怪光線はそのまま住まいのドアをぶちやぶった。くすぶるドアの破片、焦げ臭い匂い……やれやれ。
「アホかおまえたち。ドアをつぶしおって、泥棒に入られたらどうしてくれるんじゃ」
 アーカイヴの連中は微動だにせず、無言だった。
 ファウルナーは冗談のわからないやつは嫌いだった。
「さァ、どうする?」
 エステロの配下が選択をせまってくる。やれやれ、交響人形ごときで勝てると思っているのか。
「主導権を握っているのがどっちか、教えてやらねばいかんのかの……」
 その二秒後、ファウルナーは本気の魔力を解放し、二〇秒後にはシーフ・アーカイヴを追い払っていた。

 女性の名はシェーナ。クラドック王国で占い師をしていた。連れてきた女の子と赤ん坊は、それぞれイルネージュとリューネといい、ともにシェーナの娘だった。今は二人ともベッドで寝ている。落ち着かせようと椅子に坐らせたところで、シェーナがそれだけ独白するように説明したのだった。
 ファウルナーが置いたホット・ソプラベリー・ティーの湯気の向こうで、シェーナはうつむいていた。ただ悲嘆に暮れているようにも見えたし、安堵しているようにも見えた。ファウルナーは最初のうち、冗談など口にしていたが、シェーナの反応がいまいちなので黙ることにした。しばらくの沈黙ののち、
「ご迷惑をおかけしました……」
 本来最初に言うべきのことをつぶやいた。きっと、話しだすきっかけとしての意味でしかないのだろう。だからファウルナーは黙ったままうなずいた。うつむいたシェーナには見えなかっただろうけれど。
「私がシーフ・アーカイヴに追われていた理由は、私があまりにも優秀な占い師だったからです」
 そのままシェーナは本題に入った。そのほうがファウルナーにも有り難かった。
「私にはときどき未来が見えることがあります。そしてそれは必ず、当たるのです」
「……百発百中?」
「ええ、そうなのです。自分でも制御できないちからなのですが」
「なるほど、それをエステロに狙われたわけじゃな。未来がわかれば、儲かる話はいくらでもあるものな」
 ファウルナーにはもう興味のないことだった。今さら未来など、わかりたくもない。
「今日、私がファウルナーさまの許へ身を寄せることは、実はだいぶ前に予見しておりました」
「……ふぅむ、たいしたもんじゃの」
 まるで自分の人生が目の前のかぼそい女性に左右されているような錯覚に陥る。きっと、その能力のせいでシェーナは、たくさんのつらい思いを味わってきたに違いない。持って生まれた強い魔力に人生を左右されてきたファウルナーには、その気持ちがわかるような気がした。
「私のこの能力は、娘たちには遺伝してはいないのですが、娘たちには強い魔力が宿っています。シーフ・アーカイヴは、私ともども、娘たちをもアーカイヴに取りこむ算段であったようです」
「なるほどな……して、あの娘たちの父親はどうしておるのじゃ?」
 遠まわしな言いかたになってしまった。
「夫は殺されました。いや、正確にいえば、もう殺されているでしょう……。私がアーカイヴの傘下にくだらない心積もりであることを知ると、エステロ=デ=ナジャは真っ先に夫を誘拐しました。今頃は殺されているに違いありません」
 ということは……。ある意味で、自分がシェーナの夫を、あの娘たちの父親を殺してしまったようなものじゃないか――ファウルナーは複雑な気分になった。自分がシェーナを助けたばっかりに……。
「心配なさらないでください。私たちがアーカイヴの傘下にくだる交換条件で、エステロは夫を開放すると言っていましたが、私は信じておりませんでした。というか、見えたのです」
 シェーナは薄く笑みを浮かべた。
「夫はいずれ、殺されていたのです――」
 ファウルナーはうなずいた。
「イルネージュと、リューネと……そして、お腹のなかにいる末の娘を助けるには、こうするしかなかったのです」
「まだ、子がおったのか……三姉妹とは、驚きじゃな」
 すると、シェーナがまっすぐにファウルナーを見た。
「そこで、ファウルナーさまにお願いがあります。娘たちの父親になっていただきたいのです」
 へ? ファウルナーの目は点になった。
「私の娘たちには、いつか、そう遠くない未来に、大事な使命を果たさねばならないときがくるでしょう。そのときまで、娘たちを匿ってやっていただきたいのです」
 シェーナの目は確信に満ちていた。そして、その確信のなかには、ファウルナーがその申し出を断らないという項目も、含まれていたのである。

 それからファウルナーはシェーナと、イルネージュと、リューネと、そして一年後に生まれたフルールと、四人でまるで家族のように暮らした。シーフ・アーカイヴをはじめとする危険は少しもなく、平穏無事に過ごしたのである。シェーナと三姉妹は、花を摘んだり、ソプラベリーを加工して遊んだり、田舎の生活にもとけこみ、順風満帆に暮らしていた。娘たちは快活に成長し、不満はないように思えた。ファウルナーの心も満たされていた。ただ一点、シェーナが時折とても淋しそうに微笑むことを除けば……。
 五年後のある日、娘たちが遊びにでたのを見計らって、ファウルナーはシェーナをデートに誘った。二人でソプラベリーの茂る丘を歩きながら、ファウルナーは満を持して訊ねた。
「なにか隠しごとをしておらぬか……?」
 しばらく黙っていたけれど、シェーナは最後には告白した。
「私の命はもうすぐ尽きます。魔法では治せない、不治の病に罹るのです」
 ファウルナーは二の句を告げられなかった。
「もう少しだけ、生きていたかった。せめて、あと五年……イルネージュが成人するまで。イルネージュは強い子だから、きっと私の代わりをしてくれるでしょう……だからそのときまで……生きていたかった」
 哀願するようなシェーナの瞳を、ファウルナーはただ見つめていた。
 その夜、ファウルナーは悩み考えた。自分の死を予見してしまったシェーナの悲劇を、そしてそのあと、残された自分はどうするべきなのかを。長い人生のなかで、一晩中悩んだことは初めてだった。
 そして、ファウルナーはひとつの決断をくだした。
 シーフ・アーカイヴにできることが自分にできないわけない。そう思って、ファウルナーは一流の造形師に人形を依頼した。シェーナに生き写しの人形を。
 そう、ファウルナーは交響人形を創ろうとしたのだ。シェーナが亡くなっても、娘たちにそれを悟られまいとするための、本物のシェーナよりもシェーナだと思えるような、そんな交響人形を。
 交響人形とは魔力で動かす自動人形のことだ。魔力が優れていればいるほど、それはきっと優れた性能のものになるはずだ――ファウルナーはそう信じた。
 シェーナは微笑んだ。
「そんな方法がうまくいくかしら」
 けれど、ファウルナーには自信があった。その魔法がうまくかけられるのは、世界で自分だけだという。

 二カ月後、シェーナは息を引きとった。まるで眠るように逝ってしまった。ファウルナーが配慮したおかげで、娘たちにはそれを悟られずに済ますことができた。
 シェーナが亡くなったその夜、その最も悲しい日に、ファウルナーは魔法をかけた。一流の職人に創らせた、シェーナそっくりの人形に、一世一代の大魔法をかけたのだ。
 せめて五年間だけでも、その人形がシェーナでありつづけることを願って……。

 それから五年間、交響人形は少しの隙もなく動きつづけた。ファウルナーの心にいるシェーナそのままの彼女を、演じつづけてくれたのである。イルネージュも、リューネも、フルールも、少しも疑っているようには見えなかった。ファウルナーの魔法は成功したのだった。
 イルネージュが成人して少しあとに、交響人形の寿命がきた。そのとき初めて三姉妹のなかでもシェーナは他界したのだった。哀しみに暮れたけれど、シェーナの望みどおり、三姉妹は運命に屈することなく成長した。ファウルナーにはそれがなにより、うれしかった。

 ――――

 懐かしい絵を眺めながら、気づけばファウルナーは思いかえしていた。
 イルネージュの成人の日、ファウルナーは絵師を呼んだ。全員そろっての肖像画を依頼したのだ。素晴らしい絵画になった。そのなかでは全員、笑みを浮かべていた。
 そう、その絵画のなかで、シェーナは微笑んでいた。まるで生きているみたいに優しく。
 ファウルナーはそして思いだした。
 娘たちには重大な使命がある――シェーナはかつてそう言った。
 そして先日、アルトゥーロにハーグローブ王国の若い竜騎士がやってきた。その男は封印族で、重い使命を背負っているようだった。そして、二女のリューネが、彼を慕って、その使命にその身を委ねていったのだった。
 予言は当たったのだろう。

 ファウルナーが懐かしさに目を細めていたその頃、階下で残った二人の姉妹が向かい合っていた。
「どうせ魔法の研究なんていってもさ、例のコレクションのエロい切り抜きでも見て、ニタニタしてるだけなんだからさ、父さんはいつも」
 イルネージュがソプラポッコを飲み干しながらため息をつく。
「――ったく、いい齢して、くだらないんだから」
 フルールが微笑む。
「でも、意外と今日はそうでもないかもよー」
 イルネージュがフルールを見る。
「なんで?」
「にゃー、パパのコレクションのなかに入れといたんだー」
「なにを?」
「ママの絵。ほら、イルネージュちゃんの成人のときのやつ」
 うれしそうなフルールを見て、イルネージュも微笑んだ。
「なるほどね。それはいいかも。今頃、改心してるかもね」 
 二人はくすくす笑う。
「大事な絵だもんさー。コレクションに入れとかなきゃさー」
 フルールもイルネージュも、束の間、母親を思いだした。
 しばらくして、イルネージュがふと、つぶやく。
「あの鈍そうな父さんが、あんなことしてくれるなんて思わなかったものね……」
「うん……まさか、ママを創ってくれるなんて思わなかった。あのママは、パパがくれたなかで、いちばん大好きな宝物だよ」
 フルールが無邪気に笑った。