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Return to Farland サブ・ストーリー

パペ・スマイル

 とびっきり晴れていて、とても気分がよかった。王都サンレグルス近海の海底に広がっている岩礁海域を流れに任せて漂流していたチャールス・キートン・ロイドは心地よさに目を閉じた。彼は彼の種族にありがちな浮遊性や遊泳性はもちあわせていなかったけれど、その日に限ってはそんなふうに過ごしていた。
 えてして、運命の出逢いというのは、ある日突然やってくる。
 その日、いつもなら海底でのんびりと捕食でもしている時間に、彼は思いのほかふらふらと遊びすぎ、気づいたらとてもお腹が空いていた。こりゃいかん、なにか食べておかないと――野性の本能から彼はそんなふうに考えた。
 そして、運命の悪戯というものもまた、ある日突然やってくるもので、ちょうど彼がそんなふうに考えたところに、サワガニが現れたのである。冷静に分析すれば、いつもなら海底散歩をしていて目前にサワガニが浮遊してくるなんてことはなかったので、これは怪しいのではないかくらいに訝ったりはしたのだろうけど、そのときの彼はいかんせん気分もよかったし、なによりカニは彼の大好物だった。運命の悪戯というものである。彼は躊躇することなく、そのカニにかぶりついた。
 すると、からだがものすごい勢いでひっぱられた。抵抗する余裕もなく、あれよあれよという間に、彼は海面までひっぱられ、どこのバカぢからがひっぱっているのかは知らないけれど、そのあと空を舞うはめになった。
 そう、彼はものすごいパワーでもって、釣りあげられてしまったのだ。
「うわーい、つれたつれたー」
 あたまの悪そうな子どもの声がする。
「ガヴォー」
 呼応するように野太い声が響く。彼は優秀なので知っていた。この声は巨人族のものだ。巨人族はからだはでかいけれど、ガヴォーしかしゃべれないのだ。
 宙を舞ったのち、彼は地面に叩きつけられた。すげえ痛かったけれど、我慢した。彼はプライドも高かったから。しかし、先ほどのバカぢからといい、どうやら彼を釣りあげたのは巨人のほうなのだろう。
 不覚だった。カニを餌にして釣られてしまうとは……。
 彼が憎しみの目を向けようとするよりも早く、いきなり胴体をつかまれた。むんずとつかまれた。
 目線の高さに、瞳がくりくりの少年だか少女だかわからない顔があり、彼を興味津々で覗きこんでいた。どうやらこの子どもが先ほどのあたまの悪そうな声をあげたほうだ。
「タコだ、タコタコー。ガヴォー、食べられる?」
 子どもは、アホみたいに喜んだ。
「ガヴォー」
 巨人は返事をした。意味はわからない。
「いらないのかー、あははは」
 子どもは心底おかしそうに笑った。
 なんで通じるんだよと思ったけれど、彼はつっこむ気にもならなかった。脚をだらりとたらし脱力する。
 そう、彼はタコだった。正確にいえば、軟体動物門頭足綱八腕形目に属するマダコである。ちなみに高タンパク低カロリーなので食べても悪くない。
「タコさん、お名まえはー?」
 子どもがふたたび、彼を覗きこんできた。彼は無視した。
「んー? ないのー?」
 無視しつづけた。さっさと海にかえせよバカ。
「なら、つけてあげるー、えっと、えっとねー」
 子どもはうれしそうに彼をふりまわした。やめろ、バカ――八本の脚がぐしゃぐしゃに絡まる。
「はちろーう。タコさんの名まえ、はちろう!」
 ぐはー。名まえなら、チャールス・キートン・ロイドという立派なものがある。抵抗するよりも早く、
「ガヴォー」
 巨人により、その名まえが可決されてしまった。それが彼とパペとガヴォーの出逢いだった。

 それから三年間、彼はパペとガヴォーにふりまわされた。
 逃げようにも逃げられず、あちこちへと連れまわされ、気づいたら三年も経っていたというわけだ。
 パペとガヴォーは基本的に自由人だった。胸にはサンレグルスの天空騎士団の紋章がついていたけれど、まるで騎士らしさはもちあわせていなかった。それどころか、好き勝手にふらふらしているようにしか思えなかった。つまらないことでけらけら笑ってばかりいて、正直彼の嫌いなタイプだった。
 ハプニングもたくさんあった。おおよそ、悪戯のノリでパペとガヴォーによってもたらされたもので、彼は被害者ならぬ被害ダコであっただけ。淡水で泳がされそうになったり、火で焼かれそうになったときもある。ともに死にかけた想い出である。前者のときは、
「あれー、はちろう、泳ぎへたっぴだー、あははー」
 で、後者のときは、
「これがほんとのタコヤキだー、あははー」
 である。少女だか少年だかわからない純粋そうな顔つきで、パペが悪魔のような笑みを浮かべていたのを彼は忘れようにも忘れられなかった。ガヴォーもガヴォーで、止めたり助けたりするのがあたりまえのような気もするわけだが、一緒になってはしゃぐだけなので同罪である。
 パペとガヴォーは現サンレグルス王アウフタクトに天空騎士団として招聘されるまえは、サーカス一座のサラバンドで芸人をやっていたようで、基本的にどこにいっても人気はあった。彼らがどれほどの芸を見せていたかは知りたくもないけれど、パペやガヴォーを見て喜ぶような連中は、彼らの本性を知らないだけなのだ――彼はいつもそう思っていた。
 パペらと同行していただけで、芸までやらされるハメになったこともあった。二人を目当てに集まってきた人間の子どもたちが彼に興味をもってしまい、パペの提案によってなにかやらねば場がおさまらない状況になってしまったのだ。そのときはスミを噴水のように吹きだすという芸だか芸じゃないんだかわからないような芸でなんとか切りぬけたものの、彼のプライドはひどく傷ついたものである。そのときパペたちがなにをしていたかといえば、子どもたちと一緒になって、
「あははー、はちろう、上手じゃん、あははー」
 などと彼を指差して笑っていたのだった。
 三年間も一緒にいたせいで、パペとガヴォーの笑みは、彼の脳裡にこびりついてしまっていた。憤懣やるかたないとは、まさにこのことだった。

 転機が訪れたのは、王都サンレグルスのサンバースト城にいたときであった。あるとき、パペの提案で、三人は――すなわちパペとガヴォーとチャールスは、サンバースト城の厨房を訪れていた。なにをするためにきたのかいえば、ただ単につまみ喰いだった。調理人たちが休憩に入った隙を狙ったのでパペとガヴォーは遠慮なくつまみ喰いをはじめた。つまみ喰いというか、がつがつ喰いはじめた。騎士団はじめ貴族たちのために用意されているだろう料理や食材が喰い散らかされていくさまを、彼は黙って眺めていた。
 やれやれ、どうなっても知らないぞ……彼がそう思ったところで、案の定、
「こらー!!」
 女性の金切り声がする。
「勝手に厨房に入っちゃダメでしょ!!」
 気の強そうな調理補助の女性は、包丁をふりまわしながら迫ってくる。
「あははー、見つかったから逃げ逃げ~」
 パペがさっきまでがつがつ喰っていたのがうそのような跳躍で、テーブルの反対側に逃げる。
「ガヴォー」
 ガヴォーはのろのろと、片手にロブスターを抱えたまま逃げだす。
「はちろうも、逃げ逃げー、あははー」
 パペが笑う。
 しかし、パペがそんなふうに笑ったせいで、調理補助の女性の注意が、チャールスに向いてしまった。彼を確認した女性の眼孔がぎらりと光る。嫌な予感がもりもりした。
「こんなところに活きのいい食材がいるじゃなーい」
 冗談はほどほどにと思ったけれど、女性はきらりと光る包丁をかざして、彼のほうに突進してきた。
「ああー、はちろうが料理になっちゃうー」
 今さら事態の深刻さに気づいたらしく、彼の視界の片隅でパペがあたふたする。
「ガヴォー、とめてー」
 パペが叫ぶと、ガヴォーが手を延ばし、調理補助の女性の襟をつかんで持ちあげた。
「あ、こら。なにするの!」
 女性は空中でじたばたする。
「はちろう、逃げ逃げ-」
 パペがさらに叫ぶ。
 逃げろったって……どこに逃げろというのか。彼はきょろきょろする。
 下水しかなかった。
 やれやれ。彼は最大級に困ってみたけれど、それしかなかった。ガヴォーとはいえ、包丁を構えた女性を抑えるのは限界があるだろう。プライドが高い彼にはとても苦しい行為だったけれど、彼はとりあえず下水に飛びこんだ。ものすごい臭気と汚物に目を閉じて、気がついたら彼はサンレグルス近海の海底に投げだされていた。
 なにはともあれ、パペとガヴォーから逃れることができたのだった。

 晴れて自由になったものの、三年間という歳月はやはり長く、いろいろなとまどいが彼に湧いた。実際、海底で暮らしていた頃の見知った顔たちは、三年のあいだにいずこかへいなくなっており、気づいたら彼は孤独になっていたのだ。同時にサンレグルス近海の海底事情も様変わりしており、彼の知らないところでいろいろなルールができていて、彼にとっては非常に住み心地の悪いところになってしまっていた。
 それもこれもパペやガヴォーのせいだったけれど、悔やんでいても始まらないので彼は新たな住処を求めて旅に出ることにした。
 もう少し、南の海を目指してみよう、楽園を求めて。そうして彼は泳いでいった。

 数カ月後、海面を見あげると、暖かみのある陽射しが降りそそいでいた。

 とても明るい。どうやら南国と言われるところへやってきたのだ。そういえばこのあたりに人間たちは、カリプソなるリゾート・ビーチを創ったのではなかったか。彼は賢いのでそういう話題にも明るかった。
 彼の近くに遊覧船らしき客船がやってきた。船のうえではどこぞの金持ちが美女をはべらせて酒でも飲みながら肌でも灼いているに違いない。しかしそういった道楽的な気分になる気持ちがとてもよくわかった。
 きっと、このあたりは暮らしやすいに違いない――彼が満足げにうなずいたそのとき、
 ん?
 海底からものすごい音が響いてきた。ごごごごごご。
 彼は慌てて遊覧船を見あげていた視線を海底に向ける。同時に海底から凄まじい量の泡があがってくる。泡だらけなだけでよく見えないけれど、それは渦巻きながら確実にこちらへ上昇してきていた。
 まずい、巻きこまれる――気づいたときにはもう遅く、彼はその圧倒的な渦巻きに呑みこまれて、まるでトビウオのように空中へ投げだされた。台風の巻き添えを喰ったような衝撃が全身を殴打する。
 うわぁぁああああぁあぁ――そのままの勢いで、彼は遠くへ飛ばされていった。

 その謎の渦巻きは、伝説の竜の仔が吐きだした衝撃波が巻き起こしたものだった。渦巻きと化した衝撃波はそのあと、優雅に漂っていた遊覧船をものの見事に沈没させたのである。海底では伝説の竜の仔が眠そうにまばたきをくりかえしている。その横には、海賊王カリプソの亡霊がいた。
「ふん、くだらん人間どもが、我が名にあやかって、くだらん道楽都市など創りおって。くだらん客船なんぞを我が海に浮かべたら、すぐに沈没させてやるぞ……」
 自分のちからで楽園を創りたかった海賊王カリプソは、道楽人間たちが大嫌いだったのだ。
 そう、つまりチャールスが弾き飛ばされてしまったのはただのとばっちりだったのである。
 運命の悪戯というのは、ある日突然やってくるものなのだ。
 そして――。
 遠くへ飛ばされたチャールスは、今まさに死に瀕していた。
 彼は海から放りだされ、どこかの砂浜に打ちあげられていたのである。
 脚もとあたりに波が往来する気配が感じとれるけれど、彼にはもう動く体力が残されていなかった。
 陽気な声が風にのって聞こえてきた。
「ここはビーチタウン・カリプソ! なんだよ、浮かない顔なんかするなよ!」
 ……そりゃ浮かない顔のひとつもするだろうよ。
 水不足なうえに、生きる気力さえ失われてくる。
 じりじりと照りつける南国の日光が彼を消耗させた。あれだけ安心感のあるように思われた陽射しが、彼の命を脅かしているのだった。死ぬのか……彼は哀しくなった。
 潮騒にまざって女性の声がする。
「あら、大胆? まだまだよ。だって、ほら、まだ見えてないじゃない?」
 ……そうだ。結局、彼の目にはなにも見えなかった。
 目指したはずの楽園は夢物語でしかなかったのだろうか。
 ついでに、親父の独り言みたいなものまで聞こえてきた。
「ここ周辺の海は、急に荒れたりするんだ。潮の流れも複雑だしな。昔から、もちろん今もだが、よく船が沈没するんだよ」
 ……自分がここに飛ばされたのは、ただの事故だったんだろうか。彼にはわからない。
 なんでこんな目に遭わなくてはならないのだろう。
 どこで間違ってしまったのだろう。
 彼は暑いビーチの片隅で、悶々と悩みつづけた。
 意外としぶとく、悩みつづけたのである。
 そして、結論はやはり、パペとガヴォーに辿りついた。結局、あの二人だ。とりわけ、パペだ。あのへらへら笑う顔が消えかけた意識に込みあげてくる。なんであんなに楽しそうなんだ。なんだか悔しくなった。そして、たまらない気持ちになってきた。
 そんな彼が天に召されかけたそのとき、
「はちろうだーー!」
 聞き知った声に、逝きかけた意識がわずかに引き戻される。
 パ…………ペ…………?
 からだに感覚が戻るより先に、わしづかみにされて持ちあげられた。
 その感触を、遠慮のない感触を、彼はまだ憶えていた。
 彼のぼやける視界に、例のへらへら笑顔が飛びこんでくる。
 笑顔のパペは、彼をふりまわしながら笑った。
「はちろう、もう、どこにも行くなよー」
 なにを身勝手な――ぶんぶんふりまわされて、彼はとても腹が立った。
 とても腹が立ったけれど、なんだか少しだけ、安心してしまった――。